拒食症少女が、二児の母になるまで 〜第1話〜

土佐みやえの長女が拒食症を体験した時の体験記です。
息苦しかった高校生活。『話し合い』という名の説教
とにかく高校生活が辛かった。
元々男子校だった中高一貫校で、私が入学したのはまだ共学としてスタートしたばかりの頃だった。
中学から大学までエスカレーター式。
教師も同校出身、そのまま出身校に就任という人が多かったので、青春時代を男子だけで過ごし男社会しか知らないまま社会人になり、おじさんになった。
そんな人が多かったように思う。
男子校でバリバリの男社会で育てられてきた彼らは、女の扱いが分からない。
罵声や暴力が日常茶飯事で飛び交う学校生活。
居眠りしようものなら一度の注意もなく机が飛ぶ。
今考えれば、先生方も突然入ってきた女子生徒達に手を焼き、どう教育すればいいのか試行錯誤の真っ最中だったのかもしれない。
しかし、中学まで田舎でのほほんと生きてきた私にとって、それは恐怖でしかなかった。
『この学校は自分に合わない』
私は入学してすぐに感じた。
2か月は自分なりに環境に慣れようと努力した。
けど、夏休み前に限界がきて親に相談した。
しかし、親からの答えは
『何故周りの子は大丈夫なのにお前は耐えられないんだ。お前が弱いだけだろう。しかも、自分が叱られてる訳じゃないんだから、大騒ぎする事じゃないだろう。逃げるのか。逃げた人間がどうやってこの先、厳しい社会を生きて行くんだ。学校辞めたら、もう学生じゃないからな、金は出さない。フリーターも許さない。どうやって生きていくのか、表にまとめて提出しろ』
だった。
そりゃそうだ。自分が叱られる訳がない。叱られないように、必死に毎日、目立たないよう自分を殺して生活しているのだ。高校生になったらお洒落もしたいし、バイトもしたい、社会をもっとしりたい!入学当時描いていたキラキラした希望はすべて真っ黒に塗り潰された。
そして今まで『悪』として教えられた暴力。それが、何故、手の平を返したように正当化され、その行為がスルーされるのか。親に対しての不信感と、この地獄を耐えなければならないという絶望感。
毎晩のように深夜まで続く『話し合い』という名の説教。
もちろん私の意見を聞く気なんて毛頭ない。
どれだけ私が浅はかで愚かな思考をもっているのかを知らしめたい両親。
誰かに分かって欲しい、共感してほしいという希望は完全に消え失せた。
毎日肩に重い雲が乗り、空が落ちてきたように感じた。
息苦しくて、頭を上げるのさえ精いっぱい、そんな気分だった。
『今まで通り、ちゃんと学校に行く』
それ以外の答えは用意されていない訳で、もちろんそうする事に決定した。
もともと引っ込み思案で、長女気質の私にとって、親の決定は絶対だった。
夏休み明けも、自分の気持ちのs.o.sを無視して休まず学校にいった。
裏切らない数字。母と娘の熾烈な攻防戦
高校1年生の終わりに、ダイエットにハマった。
一食抜けば、500g減る体重。裏切らない数字。我慢しただけ成果が表れ綺麗になれる。
抑圧された不自由な生活な中、唯一コントロールできる物を見つけ、私はどんどんその魅力にのめり込んでいった。
私は醜い、心も醜い。だから痩せなきゃいけない。取り憑かれたように、そう思った。
どこまで1日の摂取カロリーを抑えられるか。
食品カロリー本を愛読、暗読し、低血糖低カロリーの物ばかり食べた。
きゅうり一本で過ごす日、昆布だけで過ごす日、それが達成できた日はとても自分が誇らしく幸福感で胸がいっぱいになった。自分を少し好きになれた気がした。
母の作ってくれたお弁当を教室のごみ箱に捨てる時、気持ちがとてもスッキリした。
小さいころから自己主張が下手で親に言わるまま生きてきた私にとって、それは自分にとっても、とても不思議な感情だった。
後にカウンセリングに通い、自分の口から出てびっくりした言葉がある。
『母が大好きだが、それと同じくらい、すごく憎い』
花も咲き誇る17歳。代謝も良く、更に過活動に動いていたので、体重の変化は見た目にもすぐに表れた。
しかし変化に気づいた母から、すぐさま食べろ食べろと催促が始まった。
やっと自分だけがコントロールできる楽しみを見つけた私、母と娘の熾烈な攻防戦が始まった。
朝食を食べた事にする為、朝誰よりも早く起き、炊き立ての白米を飼い犬の涼の所に持っていき、『早く食べろ、食べろ』と催促する。アツアツのご飯なので、なかなか食べられずに四苦八苦する涼。当時はこちらも必死だったが、今考えると涼に大変申し訳ない。
昼食を毎回捨てるのも、友達の目があり出来なくなった為、お弁当は自分で作りたいと言い、ヘルシー弁当を作成。白米を少しでも減らす為、白米の下にキュウリを仕込み、底上げをした。
それを友達に発見され『わぁ・・・』と引かれた。
夕飯は母が席を立った瞬間を狙って、白米を素手で掴みスエットのポケットに突っ込むという荒業。ある日、ついにバレて『何をしているの!』と突っ込まれとても気まずかった。
食にコントロールされる生活。寝ているだけで床ずれする体
そんなこんなしているうちに、自宅で後ろに横転してしまった。
目が覚めた瞬間に『携帯電話のコードに引っかかった』と咄嗟に胡麻化したが、すぐにばれた。フッと意識が失い、倒れたのは明らかに栄養が足りていない証拠だった。
しかし母はどんどん痩せ、しまいには倒れた私を見て病気を疑い内科を受診しようと言った。
『食べてないからだよ。病気なんかじゃない。調べたって意味ないのにな』と思いながらも母に言われるまま内科を受診。
装置をつけたまま生活し24時間の心電図を取ったり、血液検査をしたり、様々な方向から病気の可能性を追求してもらったが、心臓も薔薇のように綺麗だし何の異常もないと言われた。
これからは怪しまれないように、少しずつ体重を減らそうと思ったが、その後も拍車がかかりどんどん痩せていった。
35キロを切ったあたりから病的な身体つきになってきた。
もうこの頃になると、食べ物が毒に見え、食べる事が恐怖に思えてきた。
食欲をコントロールして楽しんでいた筈だったが、いつの間にか食にコントロールされる生活に変わっていた。
食レポのTVや雑誌を読み漁り、生クリームたっぷりのパンケーキや大盛りのパスタに目を奪われる。しかし、口に運ぶのは白滝やもやし、キャベツのみの『許された食材』のみ。
調理にみりんや砂糖、油を使っていないか。母が私を陰で太らせようと嘘をついて、何か高カロリーなものを混ぜているのではないか。
この頃になると、思考も病的になり表情も鬱っぽくなってきていた。
30キロを切り20キロ代に入ると、頭がボーっとする事が増えてきた。
肉がなさ過ぎて骨が剥き出しのため、寝ているだけで床ずれが多くできた。
お風呂に入る時も、一回一回の動作に気を配らないと転倒してしまうため、とてもスローだった。自分で自分を介護しているようだな、と、少し面白かった。
日によって気分の浮き沈みが激しくなった。天気によってもかなり左右される。
学校に行きたくない。友達との遊びの約束に出かけるのも億劫。みんなが、自分の食事量、食事の内容を監視している気がして、人と食事をするのが苦痛だった。
しかし、その環境になったからこそ見えてきたものもあった。
友達の中でも、がりがりの私に興味本位で近づき食べ物をすすめ、反応を観察する子、そして食べ物や体型には一切触れず、今まで通り接してくれる子と2つにわかれた。
今まで接してくれる子たちと食事に行った時、サラダをシェアする事になった。
オイル入りのドレッシングを食べれない私の為に、毎回ドレッシング別添えでお願いしますとオーダーしてくれていた。
さり気ない理解と優しさがとても嬉しかった。
彼女たちは、大人になった今でも心から信頼し合える大切な大切な友達です。
第2話(近日公開予定)に続きます。