娘達の不登校、ひきこもり、摂食障害、リストカット、毎日が不安と心配の日々。
この子達に未来はあるのか・・・娘達の将来を考えると、どん底の毎日でした。
世間の常識や正論を押しつければ押しつけるほど、娘達は口を固く閉ざし、娘達と私の関係は悪化していく一方でした。
親として私の何がいけなかったのか?
親として今の私に何ができるのか?
自問自答する日々の中で、私に足りないものは何かを考えるようになりました。
私に足りないもの・・・私が学んでいないもの・・・それはなに?
私は母との関係から、私に足りないもの、学んでいないものを見つけることにしました。
私は母に私のことを受け入れてもらっていると感じたことはありません。
母に受け入れてもらっていないと感じる瞬間、それはいつも母との会話の中でした。
学校であった楽しい話、友達とケンカして悲しかった話を母に話すと、いつの間にか私の話は横取りされ、母の話にすり替わっていました。
「私の話なんてどうでもいいのかな。お母さんはいつも自分の話ばかり・・・あぁ話さなきゃよかった」
「私の気持ちは置いてきぼり、寂しい」
「辛かった事を話しても、だからあんたはダメなんだと否定ばかり。更に落ち込むし、どんどん自分が嫌になる。私がダメな人間だから、うまくいかないのかな・・・」
母は母で、私の話を聴いてるつもりだったのかもしれません。
母は、自分の経験を話して、私にアドバイスすることで、私の価値観が広がると思ったのかもしれません。
でも私が感じていたのは、寂しさ、むなしさ、孤独感。
母と話をして、私を分ってもらいたかった。不器用な私だけど「大丈夫だよ」「そのままのあなたでいいんだよ」と、応援してほしかった。安心したかった。
まずは「話を聴く」ということをしてみようと思いました。
母と話しをすると寂しさやむなしさ、孤独感を感じていたように、私も娘達に同じ思いをさせてしまっていたのかもしれない。
聴いて貰ったという安心感を味わった事のない私が、果たして『聴く力』をどれだけ理解できているのか。まずは、『聴く』を学ばなければならない。
そして目先の困難だけに振り回されずに、「娘達の話を徹底的に聴く」ことからはじめてみようと思いました。
ところが学べば学ぶ程「話を聴く」というのは、本当に難しいことでした。
試行錯誤しながらたくさん失敗しました。
でも、その頃の私は藁をもつかむ思いで、「話を聴く」という事を徹底的に学んでいきました。
「とことん話の聴けるお母さんになりたい」と思ったのです。
少しずつ、少しずつ話が聴けるようになってくると、娘達も少しずつ少しずつ
自分の辛い思いやこだわりを話してくれるようになりました。
その時の経験を元にしたのが「家庭内傾聴」です。
「そのままのあなたが大好き」
赤ちゃんの頃から今日まで、いつだって伝えたいのはこの言葉です。
言葉にする事はとても大切です。
しかし、年齢やその時の状態によっては、ブロックがかかってしまいその言葉が伝わらない時がある。
その気持ちを全て集約して伝える手法が「家庭内傾聴」です。
「聴く事」そして、「待つ事」。
同じ経験をしている方々に少しでもお役に立てればとの思いで、14年間「家庭内傾聴」の活動をしてきました。
自分なりに活動していく中で、不登校、ひきこもり、摂食障害、リストカットのご本人、ご家族の方々に加え、精神疾患、発達障害、認知症のご本人、ご家族ともつながりを持つ事になりました。
これからもたくさんの方々とつながりを持って、誰もが暮らしやすい社会にしていきたいと思っています。