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リストカット、摂食障害、、娘との体験記(全5回)

【リストカット、摂食障害、、、娘との体験記 第1話】最初は信じられなかった

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5回にわたり、二人の娘との関わりを中心とした体験記をお伝えします。

 

そんなものはTVやドラマの話でしょう

最初は信じられなかった。受け入れることができなかった。
「摂食障害 不登校 リストカット ひきこもり…」
そんなものはTVやドラマの話でしょう。
そんな、まさか自分の子どもに問題が起きるなんて。
ケガをしないように。社会に出ても恥をかかないように。
そうやって、一生懸命育ててきたつもりだった。
それなのに、なぜ。

今、悩んでいるわたしは何をして欲しい?

とりあえず、ただ話を聴いて欲しいと思った。
誰かにわたしの話を聴いてもらいたい。

否定も批判もしないで聴いてもらいたい。

わたしが誰かに話を聴いてもらいたいって思っているのと同じ様に、子どもたちも誰かに話を聴いてもらいたいって思っているのかもしれない。

その誰かが私でもいいよね。

わたしはとことん子どもの話を聴くことから始めました。
家庭内傾聴は私が子ども達との経験の中から生みだした対話法です。

 

「ひょっとしてACじゃないの?」

40歳になって、昔から感じていた息苦しさが増していった。
何に息苦しいのか自分でも、その正体は分らない。
真綿で首を絞められてる感じ。
衣・食・住、何も困っていない。
教育もそれなりに受けさせてもらっている。
息苦しさを感じる自分は贅沢なんだ、わがままなんだと思って生きてきた。
でも、40歳を過ぎて、もうどうにもならない状態になっていた。
ある時友達に
「ひょっとしてACじゃないの」と言われた。
AC?はじめて聞く言葉
アダルトチルドレンの略、AC(adult children)
早速ACの本を読みあさった。
確かに、うん、うん、確かに、うん、うん、まさに私が生きてきたのはこの世界。
うなづきの連続、本の主人公達は、私そのもの。
「カウンセリングを受けた方がいいよ」の友達の言葉通りにカウンセリングを受ける事にした。
私がカウンセリングを受けて二ヶ月が経った頃、母が顔面麻痺になって入院した。
母が入院したのと同時に長女が摂食障害だと分る。

 

ただのわがままだと思っていた

長女が摂食障害、、、

思い返してみると、数ヶ月前から長女の行動は変だった。
「夕食は?」と聞くと
「バイト先で食べてきた」と答える。
お弁当も自分で作りはじめる。
朝ご飯も時間がないから、学校に行く途中で食べると言う。
食に関して家族と関わりを持とうとしない、つまり食事を一緒にしない。
最初は気にしていなかった私も、だんだん痩せていく娘をみて、大丈夫かな?
なにか病があるのでは?と思っていたが、まさか摂食障害だとは、思っていなかった。
生理もとまり、誰がみても異常な痩せ方をみて、
「ちゃんと食べなさい。体重戻さないと結婚して元気なあかちゃん産めなくなっちゃうよ、それでいいの!!」
「なんで食べないのよ。世の中にどんなにたくさんの人が餓えで苦しんでると思っているのよ。その人達に申し訳ないでしょう!!」
なんて言葉を言って、どうにか食べさせようとしていた。
ただのわがままだと思っていた。
だから、少し強く叱れば、また、食べるようになると思っていた。
長女は小さい頃から自分に自信のないおとなしめの子どもだったので、私が強く言えば私の言うことを聞くと思っていた。
まさか、長女が心の病を抱えているなんて、思ってもいなかった。

脅しに近い言葉を言っても長女は食べようとはしない。
ますます痩せて、元気もなくなり、水さえ飲まなくなっていった。
このままでは命が危ないと思ったけれど、ひょっとしたら明日は食べるんじゃないかと、一発逆転満塁ホームランみたいなことを考えていた。
考えが甘いなぁ~と今は思う。

摂食障害の頃の長女(左)

顔面麻痺で入院していた母の退院の日、父と兄が母を病院に迎えに行った。
その間、私は母の家の掃除をして、昼食を用意して待っていた。
昼食は母の好物のお寿司を少し奮発して買っておいた。
奮発したので、買ったのは母と父と兄の分。
私は家で後でお茶漬けでも食べればいいやって思っていた。
とにかく母の喜ぶ顔が見たかった。

ところが母は家に入るなり私に
「あんたなにやってるのよ!!」と怒鳴った。
なんのことを言われているのかわからないまま、ただただ、「すみませんでした、ごめんなさい」と言っていた。
「すみませんでした、ごめんなさい」の言葉を言いながら、母は認知症になったのか、又は、薬の副作用で気分が安定しないのかなぁ~なんて“いい子”の私は思った。
本心は、掃除や昼食の用意までした私が怒られる理不尽さと、怒られてる私を父も兄も知らん顔、助けてくれないこの状況の異常さを感じていた。
そうそうこれが我が家、私の育ってきた家庭だわ。誰も助けてくれない。

 

「お母さんと娘さんどっち取りますか?」

その日、
「私なにやってるのかなぁ~痩せてベットで寝てる娘をひとり家に残して、母の家の掃除して昼食の用意して怒鳴られて、私なにやってるのかなぁ~」と、とぼとぼと家に帰る道すがら、思ったのを覚えている。
あの時、なぜ母があんなに怒ったのか、その理由は今も分らない。

母が退院した数日後に娘が倒れる。
貧血か低血糖だったのか分らないけれど、後ろにパターンと倒れた。

カウンセラーに娘が食べないこと、倒れたことをカウンセリングの時に言うと
「お母さんと娘さんどっち取りますか?今の状況だとどっちもは無理ですよ。お母さん生きてるんでしょう、生きてるなら、ほっておきましょう。娘さんの救える命救っていきましょう。」

この言葉が私の方向性を決めてくれたと思う。
「救える命を救っていく」
私は娘の母親として出来る事はなんでもやっていこうと覚悟したのがこのカウンセラーの言葉。
私が思っていたよりも、事態はもっと、もっと根深くて深刻だったのに、私自身にその自覚がなく、どうにかなるのでは。。。。と思っていたが、この言葉で「娘の命が危ない」っていうことにやっと気がついた。
我が家に伝わる『依存の連鎖』の存在を知った。

 

第2話

【リストカット、摂食障害、、、娘との体験記 第2話】突然の出来事

に続きます

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