《あずさからのメッセージ 》
梓が大きくなっていくまでの過程を、
子供たちへの質問も交えながら
ぜひ自分たちにも見せてほしいと、
保護者から授業参観の要望がありました。
私たち夫婦はもともと障がい児施設で、
ボランティアをしていたことから、
我が子がダウン症であるという現実も、
割に早く受け止めることができました。
どう知らせるかということです。
「梓はダウン症で、これから先もずっと
と伝えました。息子は黙って梓の顔を
しばらくしてこんなことを
言いました。
「さあ、なんと言ったでしょう?」
という私の質問に、
子供たちは、
「僕が代わりに書いてあげる」
「私が教えてあげるから大丈夫」
と口々に答えます。
この問いかけによって、
グッと引き出されるように
感じます。
実際に息子が言ったのは
次の言葉でした。
「こんなに可愛いっちゃもん。いてくれるだけでいいやん。なんもできんでいい」
この言葉を紹介した瞬間、
子供たちの障がいに対する認識が、
少し変化するように思います。
自分が何かをしてあげなくちゃ、
と考えていたのが、
いやここにいてくれるだけでいいのだと、
価値観が揺さぶられるのでしょう。
さて次は上の娘の話です。
彼女が、
「将来はたくさんの子供が欲しい。
もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」
と言ってきたことがありました。
私は、
と尋ねました。ここで再び子供たちに質問です。
「さて娘はなんと答えたでしょう?」
「どうしよう……私に育てられるかなぁ。お母さん助けてね」
子供たちの不安はどれも深刻です。
しかし当の娘が言ったのは、
思いも掛けない言葉でした。
「そうだとしたら面白いね。だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」
子供たちは一瞬「えっ?」と、息を呑むような表情を見せます。
そうか、
障がい児って面白いんだ――。
いままで
プラスの存在として
見られるようになるのです。
逆に私自身が子供たちから、
教わることもたくさんあります。
授業の中で、梓が成長していくことに伴う、「親としての喜びと不安」には、
どんなものがあるかを挙げてもらうくだりがあります。
黒板を上下半分に分けて横線を引き、
上半分に喜びを、
下半分に不安に思われることを
書き出していきます。
・中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。
将来に対する不安が
「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」
理由を尋ねると、
「だって勉強が分からなくても
分かるようになれば
意地悪をされても、
喜びに変わるから」
これまで二つの感情を
果たしてよかったのだろうかと、
自分自身の教育観を
出来事でした。
子供たちのほうでも
それぞれに何かを感じて
「中略」
私は決まって次の自作の詩を朗読します。
「あなたの息子は
あなたの娘は、
あなたの子どもになりたくて
生意気な僕を
しっかり叱ってくれるから
無視した私を
諭してくれるから
泣いている僕を
じっと待っていてくれるから
怒っている私の話を
最後まで聞いてくれるから
失敗したって
平気、平気と笑ってくれるから
そして一緒に泣いてくれるから
一緒に笑ってくれるから
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備を
私のおかあさんになることが
だから、ぼくは、私は、
あなたの子どもになりたくて
生まれてきました。」
上の娘から
お互いに学生時代、
答えたところ、
「あぁ、
準備をしていたんだね」
と言ってくれたことが
きっかけで生まれた詩でした。
昨年より私は
梓を育ててくる中で得た多くの学びが、
いままさにここで生かされている
ように思います。
「お母さん、準備をしていたんだね」
という娘の言葉が、
より深く私の心に響いてきます。
『致知』2013年2月号「致知随想」より ー
多々ある事に気づきます。
無意識のうちに、私達大人が
どの子どもに対しても
子ども達の命を守っていきましょう