『自己責任論について』
「それで自分で責任取れるの?」
「もし~になったらどうするの?自分で責任取りなさいよ!」
こんな言葉を幼い頃から言われてきたら、自分の責任取れそうな範囲でしか行動しなくなってしまう。
自分の責任が取れそうな範囲で行動しても、失敗してしまう事もある。
失敗すると、「ほらやっぱり無理だったでしょう」なんて言われると、ますます自分の安全の中での行動になる。
つまりは冒険もチャレンジもしなくなる。
冒険もチャレンジもしない小さな小さな自分だけの世界でしか、生きていけなくなってしまう。
自己責任って考え方、必要なのかな?
昭和の時代はこの「自己責任」て言葉、いろんな場面で見かけたように感じるのは、私だけかな。
私が育った家でもたくさん使われていた。
「自分でやるって言ったんだから、最後まで責任もってやらないでどうするの!」
「途中でやめるって、ほんとうに無責任だよね!」
今なら、
「最後っていつ?最後を決めるのは私でしょう」
「途中ってだれが決めたの?勝手に決めないで!」
なんて反発していたかもしれないけれど、昔の私は、この「自己責任」の言葉に押しつぶされそうになっていた。
結局「自己責任」の言葉で私の得たものは、慎重さと疑い深さと常につきまとう不安と心配。
失ったものは「心から好きと思える気持ち」
コロナのこの時期、どうしようもない事ってたくさんあるなぁ~と思う。
自分ではコントロールできないどうしようもない事やどうしようもない出来事。
生きていく中でどうしようもない事やどうしようもない出来事の方が多いのかもしれない。
どうしようもない事やどうしようもない出来事の方が多いのであれば、「自己責任」云々よりも、やりたいことやってみて、冒険してみてチャレンジしてみて、その時自分が何を感じたか、どう感じたかを知る事の方が大切なんじゃないのかな。
パソコンで検索すればたくさんの情報が、溢れんばかりに出てくる。
溢れんばかりの情報を自分なりに必要なものと必要でないものに分けていく作業が、これからの時代必要になってくるように感じる。
自分にとって必要か、必要でないかを知るには、自分がどう感じるか、自分の感情と向き合っていないとわからない。
昭和も終わり、平成も終わり、今は令和の時代。
責任取れるのかの思いに囚われることなく、自由に自分の好きなことを追求して、自分の感情を大切にしていく事が、令和時代を生き抜く術かもしれない。